「write once, run everywhere」という幻想

ただ、ちょっと引っかかったのは、僕たちは、「write once, run everywhere」に到達したのかという点です。僕自身は、まだ、この言葉が意味しているところに到達していないと思っています。また、実は、「write once, run everywhere」は、目指すべき方向ではないと考えています。それは、この言葉自身が意味するところが、あまりにあいまいで、話す人や聞くひとによってとらえ方の幅が大きいからでもあります。

http://d.hatena.ne.jp/hkinami/20090603/p1

「write once, run everywhere」て難しいですよね、誰もが理想でしかないことは解っているんですが、それでも追い求めてしまうみたいな。自分としての解釈は到達しつつあるのかな?と思います。木南さんも書かれているように人によって解釈は違うので主観ですけど。
最近はJRubyJythonなどJava上で動くスクリプト言語に関しても実用レベルになりつつあります。どこかで聞いたか忘れてしまいましたが、「write once, run everywhere」をJavaのコードを1回書けばどこでも動くよと解釈するよりも、『言語はなんでもいいからコードを書けば、JavaVMが動くところならばどこでも動くんだ』と読みかえようという話で、非常に共感を覚えました。
Dalvikにはまだまだ課題はあるようですが、Dalvikの移植性や言語選択の多様性がもっと高くなればAndroidはもっと飛躍すると思います。そうすれば、Androidの仕事も出来るようになるのかなw